私は、以前から言っている。
民主主義は本当に正しいのだろうか?と‥‥
いや、誰かが言っていたように、現時点では正しいと思うし、基本はこれで間違いないと思う。
しかし実際に欠点は見えてきている。
戦前のように国民がバカだと勝てない戦争に突き進んでしまったり、代表を選ぶにしてもどんな人か分からないから知名度だけで選んでしまう。
組織票の強さもあれば、人材確保も難しいようだ。
日本に今、総理大臣としてしっかり仕事のできる人が何人いるだろうか。
アメリカではトランプとヒラリーという究極の選択が強いられる事になっている。
日本も都知事選挙では似たようなものだ。
民主主義にも欠点があると言う事は、しっかり認識しておかなければならない。
それに気が付いた日本人は、現在かなり上手くやってきてはいる。
戦前国民がバカ騒ぎした為に失敗した事を教訓に、基本的には冷静に政治を見るようになった。
メディアも偏向報道は相変わらずだが、極端に報道する場合まだマシな方向を選んでいる。
国民の知識人のレベルが上がった事から、テレビの報道に疑問を持つようになり、実はそこにメッセージがあるのではないかとも感じられるようになった。
『我々が極端な報道をするから、国民は疑問を持ってしっかり考えて欲しい』
そういう思いが込められているのではないだろうか。
最近の報道で気になったのが、天皇陛下譲位の話だ。
5年前から言われていた事で、政府では静かに皇室典範の議論もされていたという。
そして憲法改正が可能になったこの時期に発表されたのには、何か意味があるような気がしてならない。
そうだ、憲法改正と共に、日本のあり方をもう一度考えるべきではないかとのメッセージだ。
テレビでは執拗に『象徴天皇としてのあり方』という事で今上天皇陛下の活動を放送していた。
なるほど、ここに疑問を持って国民は考えろという事かもしれない。
象徴天皇の時代は、現在71年続いている。
この時代を振り返ると、日本は平和だったかもしれない。
しかしこれは日本がどうとか言うよりは、ただ覇権国家のアメリカに守られてきただけの年月であった。
詳しく話すと長くなるので結論だけ言うが、これは決して日本が良い判断をしてきたから平和だったわけではない。
アメリカの最前線基地として必要だったから守られてきただけである。
しかし今、アメリカの覇権体制も徐々に弱まりつつある。
この中で日本はどうするべきなのだろうか。
今の駄目な民主主義政治を続けていて大丈夫なのか。
安倍総理はよくやっているとは思うが、これくらいが最低レベルでないとこれからの時代は厳しいかもしれない。
日本の国家体制を見直す時に来ているような気がする。
そこで象徴天皇という形を振り返ってみよう。
平和を愛する天皇陛下である事は間違いないだろうが、果たして結果はどうだったのだろうか。
日本人の心を支え、国を一つにまとめてきたという意味では満点だったと言って良い。
しかし私は気になる事が2つある。
まだ結果が出た話ではないが、政治利用された事が2回有った。
一つは天安門事件の後の話、もう一つは習近平に会った話である。
これはどちらも、政治家に利用され『中国を助ける為に行った』ものだ。
象徴天皇というあり方は、本当に正しいのだろうか。
政治利用されない為に、もっとはっきりとした権威を示せる立場にするべきだと私は考える。
大日本帝国憲法は独裁憲法だとか軍国主義憲法だとか言われて批判される事が多いが、本当にそうなのだろうか。
調べてみると、かなり素晴らしい所もあった憲法だ。
少なくとも今の日本国憲法よりもまともである。
テレビの報道や世界情勢、或いは歴史の流れを見る中で、大日本帝国憲法を見直す時にきているのではないかと感じる。
現在の日本のみならず民主主義政治に足りない所をまずは考えてみる。
①国民が判断を誤ると全てを誤る可能性。
②選挙で選ぶ場合、知名度優先になってしまう。
③選挙活動が中心になり、政治家としての能力に疑問が出てくる。
④権力を私利私欲に使えてしまう。
⑤自国民の事を考えて政治をしない事も可能。
①に関しては教育改革をして、日本という国をしっかり教える事は必要だとは思う。
ただ騒がない所などは、戦後かなり改善されてきているので良しとしよう。
②と③に関しては、過去にどこかで書いたが、貴族院のようなものを復活する事が良いと思っている。
政治のスペシャリストの家系をつくり、その中から選挙で選ぶシステムだ。
今の学校教育ではなく、政治家に必要な知識に特化し、帝王学も学ぶ。
選挙で選ばれなかったメンバーも、政治家のサポート役として政治に携わってもらう。
政治の中心はあくまで衆議院なので、歯止め役としての役割が強い。
ただこの方法だと平等の精神に反するとか言い出す人がいそうなので、かなり難しいだろうね。
さて、今日ここでの話のメインは、④や⑤に対しての対応策だ。
これ、実は大日本帝国憲法では既に有ったんだよね。
それが天皇陛下の権威による監視だ。
天皇陛下に権力がないのは大日本帝国憲法でも同じ。
もちろん命令なんてできない。
しかし御前会議では、政治家が私利私欲で発言していないか、しっかり正しい事を言っているか、天皇陛下が監視する事ができたのだ。
しかも密室では陛下の意見を聞く事もできる。
戦前はその意見も空しく戦争へと向かってしまったが、国民の誤った声に対しても意見が言える人はいた方がいい。
もちろん命令ではないので、政治家の判断で無視する事も可能だし、天皇に責任がいかないようにはなっている。
日本がアメリカとの戦争に突入した過ちは、概ね国民がバカだった事が一番の原因だ。
他にも、それを煽ったメディア、スパイに対する甘さ、政治家の能力の低さ、憲法にあった欠陥など色々あった。
それでも最後まで戦争を回避する為に頑張っていけたのは、天皇陛下の権威の力があったからこそだったのだ。
今なら十分に運用が可能だと思う。
大日本帝国憲法をそのまま復活しては駄目だけれど、欠点も見直しつつ、新たな憲法作るのがもしかしたら最善なのかもしれないと私は感じる。
とりあえず中身を決めない事にはなんとも言えないが、最悪一条の『象徴天皇』を元の『天皇のシラス国』に戻すべきかな。
今は天皇陛下が政治利用されたり、他の思惑に使われようとしていたり、不安もあるよ。
だから天皇陛下の権威を取り戻す事が、日本の未来の為に必要ではないかと私は思う。